園田 教子。 authoring.azure.worksafebc.com: 女子のための柔道の教科書 : 昌彦, 木村, 義之, 松岡, 隆二, 園田, ç¿ , è

10月にはブエノスアイレスで開催された 世界ジュニアに出場して、準決勝までオール一 本勝ちで勝ち進むが、決勝では中国の袁華にパ ワーでおされて払腰で有効を取られて2位に終 しかし2週間後の強化選手選考会で は、学生チャンピオンである湊川女子短大 の浅 田ゆかりを内股で一本勝ち、坂上と並んで国内 のこの階級を代表する選手であるコマツの鈴 木香を判定で破って決勝に進出して、決勝で も国士舘大学 の五十嵐準子 から背負落で一本 勝ちして見事優勝を果たして、福岡国際の代表 に選出された。 「ZOOM IN 素顔 阿武美和」 、1990年1月号、92-93頁• 「ZOOM IN 素顔 園田隆二」 、1993年3月号、88-89頁• 続く福岡国際の決勝ではアジア 大会決勝と同じく喬との対戦になり、今回は効 果を取られリードされたものの、終了30秒ほど 前にこれまた豪快な内股すかしで技ありを取 1995年の1月にはミキハウスカップ団体戦に日 本チームの一員として出場して、決勝では キューバのダイマ・ベルトラン と引き分ける が、チームは敗れて2位に終わった。

大学時代 [ ] 大学1年 [ ] 4月に明治大学文学部文学科に進学した。

12 月にはバンコクで開催されたアジア大会に出 場するが、初戦で中国の唐琳に判定 で敗れ、敗 者復活戦でも韓国の姜旼廷に技ありを取られ て敗れ、メダルさえ取れない散々な結果に終 アジア大会が12月にあったために1ヶ月先延ば しになって開催された1999年1月の福岡国際で は、決勝でルナを注意で破り優勝を果たした。 戦績 [ ] 年月 大会 成績 5年生の部(男女混在) 2位 56kg超級優勝 - 3連覇 、 女子団体戦 2連覇 ポーランドジュニア国際 優勝 2位 優勝 無差別 3位 ミキハウス大阪国際女子柔道クラブカップトーナメント 2位 広島国際女子柔道選手権大会 3位 3位 、 2連覇 -、 合計5度の優勝 - 12連覇 優勝 2位 少年女子の部 優勝 - 3連覇 2位 3位 無差別 優勝 優勝 ミキハウスカップ団体戦 2位 優勝 無差別 優勝 72kg超級及び無差別 ともに5位 1回戦敗退 優勝 3位 3位 優勝 3位 2位 優勝 優勝 優勝 7位 優勝 優勝 優勝(2連覇) 3位 1回戦敗退 優勝 優勝(3連覇) 2位 優勝 優勝 78kg級 優勝 無差別 3位 優勝 個人戦 優勝 4連覇 団体戦 エキシビション 優勝 優勝 計8度目の優勝 優勝 出典 、。

5歳年上である兄の貴宏は現役時代は71kg 級の選手で、小学生の時に全国少年大会5年生 の部で3位、6年生の部で2位になり、その後団 体戦では世田谷学園高校 柔道部の一員として 全国優勝を果たしたことはあったものの、個人 戦ではこれといった活躍はなかったが、社会人 になってから妹の教子の大活躍に触発されて か、講道館杯で2位になるなど一定の活躍をし 3歳年上である姉の美和は現役時代は56kg級の 選手で、中学2年の時には早くも福岡国際に出 場して、そこで新旧世界チャンピオンを破るな ど大健闘して2位になったり、中学3年の時には 体重別で優勝して、翌年には2連覇を果たし てベオグラード世界選手権 に出場するなど非常 に早熟な選手ではあったが、怪我などもあって その後が続かなかった [4]。 3月には高校選手権 に出場 して、準決勝で阿蘇高校の二宮美穂を有効、決 勝で夙川学院高校 の山下まゆみ を効果で下し そして4月の全日本選手権では、準々決勝で そ ごうの松尾徳子に苦戦するが終了30秒ほど前 に大外刈で一本勝ちして、準決勝でも浅田に袈 裟固で一本勝ち、決勝では鈴木に3-0で判定 勝ちして史上最年少の16歳にして初優勝を 5月には上海で開催された 東アジア競技大会 に 出場するが、北朝鮮のリンには送襟絞で一本勝 ちしたものの、中国の張穎と文にそれぞれ効果 を取られて敗れて3位に終わった。

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有力選手との対戦成績 [ ] 対戦成績 国籍 選手名 内容 2勝 2勝1敗 4勝1敗 1勝1敗 1勝1敗 1敗1分 2敗1分 1勝1敗 1勝2敗 5勝1分 4勝 2勝1敗 2勝2敗 参考資料:発行のバックナンバー、等。

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「別冊付録 柔道ニッポン代表14人本」 、2004年8月号 24-25頁 関連項目 [ ]• Charles and Mary Lamb『ロミオとジュリエット』 1• com 獲得メダル 日本 女子 柔道 オリンピック 2004 アテネ 78kg級 世界柔道選手権 1993 ハミルトン 72kg超級 72kg級 1997 パリ 1999 バーミンガム 78kg級 2001 ミュンヘン 78kg級 2003 大阪 78kg級 アジア大会 1994 広島 無差別 (あんの のりこ、1976年5月23日 - 山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、 旧72キロ超級・78キロ級の元柔道選手か (警視庁)。

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階級を下げて以降は、状 況に応じて相手をいなしたりあおったりできる 組み手の巧さで、試合運びを有利に展開するこ 全国少年柔道大会 5年生の部(男 全国中学校柔道大会 全日本女子選手権 (無差別) - インターハイ 女子団体 金鷲旗 3連覇 ポーランドジュニア国際 1992年 -世界ジュニア ブエノスアイレス大会 1994年 - 全日本女子柔道強化選手 選考会で合計2度の優勝 ミキハウスカップ団体戦 2位 広島国際 3位 フランス国際 3位 1994年 - 全国高校選手権 7 2キロ 1999年 - 全日本女子選手 権(無差別)で合計5度の優勝 1993年-2004年 - 選抜体重別 12連覇 環太平洋柔道選手権大会 世界柔道選手権 ハミルトン大会 福岡国際 72キロ超級3連覇 ドイツ国際 2位 アジア大会 無差別優勝 ミキハウスカップ団体戦 2位 1997年、2003年 - フランス国際 で ユニバーシアード 世界柔道選手権 幕張大会 ともに5位 1996年 - アトランタオリンピック 72キロ超級 1997年、2002年 - 全国女子柔道体 重別選手権で合計3度の優勝 福岡国際 3位 ワールドカップ団体戦 3位 オーストリア国際 (無差別) 全日本女子選手権 1997年 - 世界柔道選手権 パリ大会 1999年、2000年、2002年、2003年 福岡国際 78キロ級で合計5度の優勝 ドイツ国際 78キロ級優勝 1999年 - 世界柔道選手権 バーミンガム大会 78キロ級で優勝(2連覇) 福岡国際 3位 2000年 - シドニーオリンピック 78キロ級 2001年 - 世界柔道選手権 ミュンヘン大会 キロ級で優勝(3連覇) 福岡国際 2位 ワールドカップ団体戦 優勝 3位 福岡国際 無差別 2003年 - 世界柔道選手権 大阪大会 2004年 - アテネオリンピック 78キロ級で金 有力選手との対戦成績. 10月のパリ世界選手権では、準決勝で地元フ ランスのエスサ・エソンブ に横四方固で一本勝 ちして、決勝でも前回のチャンピオンであるル ナから終了間際に大内刈で有効を取り、見事世 界選手権で初優勝を果たした。 2月 にはフランス国際に出場して、準決勝で世界 チャンピオンであるキューバのルナを警告で破 り、決勝はウクライナのタチアナ・ベレイェ ワに不戦勝ちして、階級変更後初の国際大会優 勝を果たした。

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国内 「重量級の女王」と 外を問わない活躍を見せ、 「軽量級の女王」であった田村亮子と共 に女子柔道界に君臨し続けた。 そして中学 3年の2学期になると地元阿武郡の福川中学か ら園田が在籍する柳川高校近くの柳城中学に 柳川高校に入学後すぐに出場した 全日本選手 権では、準々決勝で 大阪府警の佐藤昭子に判定 で敗れるもののベスト8に入る健闘を見せる が、体重別では初戦で 山形県教育委員会 の坂上 洋子に判定で敗れた。 7月には体重別に出場し て、準決勝で坂上に判定勝ち、決勝で浅田を終 了間際の大内刈で有効を取って破り見事初優勝 を果たして、世界選手権では72kg超級と無差 別両方の代表に選ばれる。

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2月にはフランス国際に出場するが、 準決勝でオランダのモニク・ファンデリー に判 定で敗れるものの、3位決定戦で鈴木に優勢勝 ちして3位となった。 シドニーオリンピックでは、前回アトランタで の雪辱を期すつもりで臨んだものの、初戦で元 世界チャンピオンであるイタリアのエマヌエー ラ・ピエラントッツィを思うように攻め込めず 逆に指導を取られて、その後ポイントを取り返 せず優勢負けを喫して、前回に続いて初戦で敗 れる結果となった。

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その後、オリンピックを契機に階級をそれまで の72kg超級から72kg級に下げて10月の全国女 子体重別に出場して、準決勝で福場を判定で破 り、決勝でも筑波大学の吉田早希から一本背負 投で有効を取って優勢勝ちして、階級転向後第 一戦にして優勝を成し遂げた。

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2回戦 (阿武は1回戦はシード)で、ベネズエラの ケ イビ・ピントから崩袈裟固で一本勝ちして、五 輪初勝利を記録すると、3回戦ではイタリア のルチア・モリコ に指導3の優勢勝ちをおさめ た。 10月のバーミンガムでの世界選手権では、準決 勝で前年のアジア大会で敗れた姜から注意を 取って雪辱を果たすと、決勝では中国の尹玉 峰に先に注意を取られてリードされるものの、 ラスト50秒ほどのところで豪快な大内刈をき めて逆転の一本勝ちをして大会2連覇を達成し た。

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中学3年の時に は新設された全国中学校柔道大会 の個人戦 56kg超級に出場して、準決勝で明光中学の外 岡裕子を送襟絞、決勝で藤村女子中学 の星川 麻貴を横四方固で破ったのをはじめ、オール一 本勝ちで優勝した。 ここでは同校柔道部史上初の女性部員とな るが、当時の監督である重松裕之は、阿武はあ くまでも例外ケースであり、他の女子部員の入 部は認めないと発言しており、事実、その後女 子部員が入部したケースは今のところない。

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イン ターハイでも昨年に続く活躍で2連覇を達成し 9月にハミルトンで開催された世界選手権の 72kg超級では、持ち前のスピードを活かして積 極的に攻めて、2回戦で元世界3位であるポーラ ンドの ベアタ・マクシモフ 、3回戦で元世界2 位であるイギリスのシャロン・リーをそれぞれ 指導で破り、準決勝でも2月のフランス国際で 敗れたバンデリーを2-1の判定で破って決勝に 進出して、決勝でも過去2戦2勝のドイツのヨ ハンナ・ハーグンを攻め続けて優位に試合を進 めていたものの、残り10秒ほどのところで足 が滑ったところをハーグンに身体を合わされて 効果を取られて、惜しくも優勝はならなかっ また、当初は無差別にも出場予定だった がケガのため出場を取り止めた Copyright on Japanese Translation C 2004 Ryoichi Nagae 永江良一 本翻訳は、原著作を明示し、かつこの著作権表示を付すかぎりにおいて、訳者および著者に一切断ることなく、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用し複製し配布することを許諾します
1993年1月のミキハウスカップ団体戦 では柳川 高校の一員として出場するが、決勝でミキハウ スの田辺陽子に崩袈裟固で一本負けして、チー ムも2位となった 6月 には福岡チームの一員として都道府県対抗大 会にも出場するが、準決勝で奈良チームの一員 である天理大学の宮本佳子に有効を取られて 敗れ、チームも3位に終わった