夢野 久作。 夢野久作 ドグラ・マグラ

彼女の郷里からと言って五升の清酒と一 樽 ( たる )の奈良漬が到着したのは、やはり、それから間もなくの事であった。

「……サ……最前……私が……このお家に這入りまして……人形を使い初めますと……ア……あそこに居られたどこかの旦那様が……イ……一円……ク下さいまして……ヘイ……おれが飯を喰っている 間 ( ま )に……貴様が知っているだけ踊らせてみよ……トト、……おっしゃいましたので……ヘイ……オタスケを……」 「ナニ……飯を喰ったア……一円くれたア……」 若い主人はメンクラッたらしく眼を白黒さしていたが、忽ち青くなって信玄袋を投げ出すと、次の 間 ( ま )の 上 ( あが )り 框 ( かまち )に駈け寄った。 彼女……姫草ユリ子の不可思議な、底の知れない魅力……今では私の姉や妻までもシッカリと包み込んでしまっている恐るべき魔力に気が付いたので、思わずホッと溜息を 吐 ( つ )いた。

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海岸沿いの国有防風林の松原の中に、 托鉢坊主 ( たくはつぼうず )とチョンガレ夫婦とが、向い合わせの 蒲鉾小舎 ( かまぼこごや )を作って住んでいた。 学校の図書館の本を借りて来て、昼夜兼行で筆写したりなぞしておりましたのに、正木先生だけはタッタ一人、 頗 ( すこぶ )る呑気な状態で自費で外国から取寄せられた書物でも、一度眼を通したら、あとは惜し気もなく 他人 ( ひと )に貸してやったりしておられたものでした。 あたりを 憚 ( はばか )るように、ヒッソリと頭を振った。

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現在の地球表面上に残る各種の遺跡によって、そんな事実を推定して行く地質学者や、古生物学者は皆、想像のみを事とするお 伽話 ( とぎばなし )の作者といえようか。 両眼をカッと見開いて、寝台の向側の 混凝土 ( コンクリート )壁を凝視した。

キリストの 聖名 ( みな )によって彼女の悪癖を封じようと試みたものであった。

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……今申します通りこの令嬢には最初から 御同胞 ( ごきょうだい )がおいでにならない、タッタ一人のお嬢さんなのですが……しかし、この令嬢の一千年前の祖先に当る婦人には、一人のお姉さんが 居 ( お )られたという事実が記録に残っております。

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又、その緑色の反射の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の 綴込 ( とじこ )みらしいものと、青い、四角いメリンスの風呂敷包みが、勿体らしくキチンと置き並べてあるが、その上から卓子の表面と同様の灰色のホコリが一面に 蔽 ( おお )い 被 ( かぶ )さっているのを見ると、何でも余程以前から誰も手を触れないまま置き放しにしてあるものらしい。 それは平手か、コブシかわからないが、とにかく 生身 ( なまみ )の柔らかい手で、コンクリートの壁をポトポトとたたく音であった。 わたしも文太郎さんなら固い人じゃけに、一緒になってもええと思うけれど、お 腹 ( なか )の子があってはどうにもならぬ 故 ( ゆえ )、どうか一ツ御祈祷をして下さらんかという是非ない頼みじゃ。

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